今回は、ノンクリスチャンが感じる「教会に行って嫌だった事」を少し共有したいと思います。※最後に動画もあるので良かったら見てみてくださいね!
教会は、ノンクリスチャンが行っていいの?
そもそも「礼拝」というのは、神に捧げるものだからノンクリスチャンは行くべきではない。そう思っているクリスチャンもいるかもしれませんが、私は大いに行ってみていいと思う派です。
ただし、大切なのは「本人に行きたい意志があるか」と「ノンクリスチャンへの配慮のある教会か」というところ。
というのも、神様の言葉を聞くチャンスがその人に対して開かれているのであれば、それはとても嬉しい事であるし、逆に教会に行ってつまずきになってはとても悲しいと思うからです。
そこで、ノンクリスチャンが感じた教会に行って嫌だった事を、少しご紹介したいと思います。(友人数名に聞いた意見ですので、あくまでも個人的意見となります。)
*全員の前での自己紹介
教会によっては、初めての方が書く「プロフィール用紙」のようなものがあるところがあります。教会側は「ようこそ」と歓迎するために、輪に馴染んで頂くためはじめに紹介するところもあるでしょう。
しかしこれが嫌な方もちらほらいます。初めての場所で、みんなの注目を浴びること(その場で立たされるなど)を苦痛に感じる人もいます。
礼拝の最後に他己紹介で、お名前をご紹介するのはもう少し優しいかもしれませんが、なるべく初めての方に負担の無いように配慮できたらいいなと思います。
私が考える教会での自己紹介難易度(私は人見知りの目立ちたくないタイプなので)
*礼拝のはじめに立たされて自己紹介 プレッシャー大!
*礼拝終わりに立たされて自己紹介
*礼拝前にアンケート&立たずに他己紹介
*礼拝後に立たずに他己紹介
*自己紹介、他己紹介無し
ただ、人が好きで社交的な方は、自己紹介等あった方が馴染みやすくて嬉しいのかと思います!
人に誘われていく場合と、一人でフラッと行ってみた場合とで、参加する側の気持ちも変わるかもしれませんが、様子を見つつ配慮出来たらいいと思います。※できればはじめに、「ご紹介してもいいですか?」と一言あるといいかもしれません^^
*自主的な挨拶の時間
教会によっては、賛美の合間や初めの時間に「握手をして挨拶する」時間があります。
この時間、教会によっては結構な分数とっているところもあり、初めての方は少し戸惑うかもしれません。
もちろん皆さん笑顔で握手しに来てくれるので、そのときは戸惑いながらも場の雰囲気を味わう事が出来ますが、「自分から初めての人に握手をしにいかなくてはいけないのか?」と不安になる可能性も。
席を移動しながら、出歩いて挨拶する人も多いので、「どうしよう」と取り残される気持ちになる事もあるかもしれません。そういった場合には、友人であれば「初めてだからここで見学してれば大丈夫だよ」など声をかけてあげるといいかもしれません。
握手の時間が苦手な人の気持ちはこんな感じ?
- 自分から席を移動していく勇気がない
- 男女問わず、見知らぬ人と握手するのがちょっと嫌だ
- 人間関係が基本的に苦手
- そっとしておいてほしい
*聖餐式での疎外感
これは数名から「嫌だった」という声を聞いた事があります。
聖餐式(せいさんしき)はキリスト教会の中ではとても大切なものの一つですが、やはり「自分は受けられない」「この人たちの仲間ではない」という事がモロに伝わってしまう事も多いです。
基本的に聖餐式は信じる人が授かるものなので、信じていない人には遠慮して頂く事が殆どです。しかし、直前にそれを知った側の立場からすると、やはり「疎外感を感じた」「すごく嫌な気持ちだった」というような感想をききました。
また、全員の前で説明があるのか、終わってから説明があるのかなど、配慮の仕方も教会によって様々なので「どうしたらノンクリスチャンの方に嫌な思いをさせずにすむか?」についていろんな意見やアイディアを出し合えると良いのではと思います。
ここが嫌だったポイント
- なぜ受けられないかの説明を全員の前でされるのが嫌だった
- 自分だけ受けられなくて、嫌な注目を浴びた
- 自分が来る場所じゃない。と感じた
対応策を考えてみました
以上の意見を聞いて、初めての人向け「聖餐式カード」を作ってみました!
パンや杯を配る時に、初めての方へお渡しできるカードです。
代わりにもらえるのものがあれば、逆に特別扱いのようにも感じられるのでは?とも思います。カードとともに何かプレゼントなんてあっても素敵ですね!
3種類作ってみましたので、良かったら保存して用いて頂けたら幸いです。
*まとめ
いかがでしたか?
今回は、ノンクリスチャンが教会に行って感じる嫌なところについてまとめてみました。
これは、教会を批判したいのではなく「誰もが来れる居場所」として、教会がますます広がってほしいという願いからのものです。
ノンクリスチャンの中には、「人生でどうしようもなくなった時、教会に助けを求めようかと思った」と、無意識に「教会に救いがあるかもしれない」と思っている方もいます。
そんな人たちがいつ来ても気持ち良く過ごせるような、そういった教会が増える事を願っています。
動画のご紹介
*クリスチャンのここが変!ノンクリから見て嫌なところ
*ノンクリスチャンから見てクリスチャンはここが素敵!クリスチャンへの励まし
以上でございます!
んっちゃ!