生き方

天国の行き方。「誰でも行ける」聖書の教え

「天国に行きたい」でも「どうしたら天国に行けるのかわからない」そんなことを考えたことはありますか?今回は聖書が教える「天国の行き方」をご紹介します。

◆死んだら裁きがある

聖書には「死後、神の裁きにあう」と書かれています。それは、生きている間に何をしたか神の前に清算するということ。

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう1つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。(黙示録20:12)

御座とは「神の座」つまり、神の前に立つということです。大人も子どもも、どんな人であれ死後に神の前に立って自分の行ってきたことを裁かれると記されています。

 

◆神は何を裁くのか

神は人間が生きている間に犯した「罪」を裁きます。この世界では”裁判”という場で”法律”を背いた人を裁きます。しかし、神の前には「罪」が裁かれます。ではこの罪とはいったいどんなものなのでしょうか。以下、聖書の参考箇所(ローマ1:29)▼

 21個ざっとご紹介します。

  1. 不義…正義・道義・義理に反すること。特に、男女間の道にはずれた関係。
  2. 悪…正しくない。不道徳。
  3. むさぼり…飽きることなくほしがる。
  4. 悪意…他人や物事に対していだく悪い感情、または見方。
  5. ねたみ…他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情。
  6. 殺意…人を殺そうとする意志。
  7. 不和…仲が悪いこと。
  8. 欺き…だまして嘘をつく事。
  9. 邪念…よくない思い。みだらな情念。
  10. 陰口…当人のいない所で言う悪口。かげごと。
  11. そしり…人のことを悪く言う。非難する。けなす。
  12. 神を憎むこと
  13. 人を侮ること…相手を軽く見てばかにする。みくびる。
  14. 高慢…うぬぼれが強く、高ぶっていること。
  15. 大言…いばって大げさな事を言うこと。高慢な言葉。
  16. 悪事…悪い行い。
  17. 親に逆らう
  18. 無知…おろかなこと。知恵がないこと。
  19. 不誠実…誠実ではないこと。 平気で嘘をついたり、人を騙したりする。
  20. 無常…同情・思いやりが無いこと。
  21. 無慈悲…あわれむ気持が欠けて、むごいこと。

など、これらは神が喜ばないとされる「」にあたります。この世界のルールよりももっと厳しいルールで神は裁きを行うということですね。

 

◆いい人が天国に行けるわけではない

しかし、聖書では「いい人」や「頑張って努力した人」が天国へ行くのでは無いと言っています。

あなた方は、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人への手紙2:8−9)

先ほど「罪」を裁かれるといったのに、「行動によっては裁かれない」とはいったいどういう意味なのか?矛盾を感じるかもしれませんが、詳しく説明するので最後までお付き合い下さいね。

 

◆罪を犯さない人はいない

聖書自身がこう言っています。

正しい者(義人)はいない、一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。(ローマ3:10~12)

人間というのは、迷い、間違え、正しくはないということ。神はこのことを知っていて、救いの道を用意しました。

 

◆罪を相殺する身代わり

聖書のいう神は、「この世界を造った存在」のこと。この世界の中にある、空や木や仏像や石などではなく、宇宙も空気も世界も人間も、全てを造り支配している存在のことです。ではこの神は「人間」を”裁き、苦しめるために作ったのか?”といえば違います。人は生きている中で罪を選び、罪を犯していってしまいました。その結果が今の苦しい世の中です。

そこで神は、「人間が皆天国へ行ける道を用意しよう」と決めました。その聖書の一文がこちら▼

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(人々)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16〜18)

神が用意した「ひとり子」とは

全ての人が、神の前に裁きを受ける。しかし、人間の行いによっては誰も天国へ行くことは出来ない。

なぜなら、律法(神のルール)を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。(ローマ3:20)

そこで、神は「全ての人々の罪の全責任を背負わせて、たった一人に、神の裁きを与えよう」と決めたのです。そして、全ての呪いを背負って全人類の身代わりに殺されたのが”イエスキリスト”です。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。…こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

 

◆天国へ行く方法は「信じる」こと

神はもう既に天国へ行くための道を用意しました。そして、全ての人々の罪も、既にキリストによって赦しています。キリストは、神が世界を救うために天から遣わした存在でした。それは、「神であるにもかかわらず人間としてこの世に来た神(の子)」と記されています。

しかし、人間の体を持ったキリストは、人間の肉体的な限界や痛み、弱さも知っています。そんな中、身体を引き裂かれ、十字架の上で釘付けになり、血を流し死なれました。それは、

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるため」(ヨハネ3:18)

です。

今は、信じない者が裁かれる

先ほど上記の聖書箇所にあったように、現在は「行動」では無く「信仰」によって救われ、裁かれます。それは、「自分が頑張ったから天国に行ける」と人が誇ることの無いためです。そして、神様が私たちを愛して用意してくれたものだと、神の恵みを受けとめるためです。

 

◆あなたも天国へ行ける

この聖書の方法からすると、神の用意してくれた「罪の赦し」「キリストの身代わり」を受け入れ信じることが天国へ行くための方法です。信じるとは何かというと、教会に行くことではありません。それはあなたが心の中で認め、「キリストが十字架に掛かったのは私を救うためだった。」「神は私のために赦しを用意してくれた。」と認めることです。

その時、天国の「いのちの書」にあなたの名前が記されます。

  • キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
  • 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:4,10)

 

◆最後に

信じるというのはどこにいても誰でも出来ることであります。しかし、とても難しいことでもあります。聖書には「子どものように純粋な心が無ければ天国を知ることは出来ない」というような箇所もあります。けれど、神は純粋で疑うことのない、素直な心を喜んでくれます

神が用意してくれた「天国」という永遠の世界へみんなで入ることが出来ますように。んっちゃ!