くりすちゃん

牧師家庭に育って。父に対する想いと、今迄と。

こんにちは クリスチャンシンガーの矢嵜風花です。今日は今まで、話した事の無い事をブログに綴ろうと思う。

職業、牧師。

私が小学3年生になる時、父の仕事の都合で群馬に引っ越しをしてきた。しかし、その仕事というのは、「牧師」というもの。開拓というかたちで、群馬県という見知らぬ地にやって来て、キリスト教会なるものをスタートさせたのだった。

群馬県に来てはじめに行ったファミリーレストランで父はこんな話をした。「もうこれから、レストランとか連れてこられないかもしれないから、今日は好きなものを食べなさい。」なんという宣言。我々はこれから、貧乏な生活を余儀なくされるかもしれない。と、小学生ながらもこれから大変なことが起こるのかもしれないと思った。

牧師という職業は、儲からない。

「神様を伝える働き」というのは、本来きっと「お金とひきかえに」やるものではない。聖書の神様がいるという事、天国があるという事、罪の赦しがあるということ…。それらを伝えていくことが一番の牧師の働きなのかなと思う。だからこそ、「儲からない仕事」だけれど、その使命を全うしたいがために覚悟を決めてのスタートだったのだろう。

「教会」というものをスタートさせるというのも、初めは0から。神様の事をみんなに知ってもらって、信じたいという人が産まれて、初めて1になる。もちろんそれだけではなくて、地域の方々に役に立つような働きや、憩いの場になれるような努力など、様々な面で働きはするが「儲ける」事がメインでないため金銭面は苦労をする牧師先生もたくさんいるのではないだろうか。

一番きつかった事

牧師の娘として、父の努力は良く目にしていた。子ども達のために、夕方の時間は公園に何件もまわって紙芝居おじさんをしていた。私も一緒に付いて回って、紙芝居を見ていた。地域の子ども達や私の友達も教会へ集まるようになり、とても楽しかった。

小学5年生くらいの時には、私は小学生の集まりをお手伝いするようになった。歌を歌ったり、伴奏を弾いたり、ゲームや振り付けを考えたり。司会進行をしたりもした。そういったお手伝いは、辛いと思った事はなくむしろいい思い出になった。「教会学校ノート」のようなノートに友達といろいろ考えてがんばっていた。

しかし一番辛かった事は、信徒さんが牧師の不満を漏らしている事だった。

「牧師」というのは、一種のリーダー的存在なので、当たり前だがこれが起こる。不満やグチ、批判、反発、意見のすれ違いや分裂。それを見るたびに心が痛かった

もちろん、父は完璧な人間ではないし、だめなところや未熟なところもたくさんだったので、きっとみんなにも迷惑をかけていたのだろう。しかし、子どもである以上身近にそういったものを見るのは辛かったな

知らなかった父の姿

そんな私も、父に対して思うところはたくさんあった。牧師になってからは教会の事ばかり優先で、少し寂しい想いをしたりとか。母と喧嘩している父を見るのがイヤだったりとか。時には「お前らそれでも牧師夫婦か!」と父に言った事もあった。

それでも、教会を守るため、自分も働きながら献金を捧げている父は今思うと本当にすごいと思う。

大人になってから、音楽をはじめ、全国ツアーにまわった時には父は教会を閉めていた。(これにはいろいろな事情があったが、「牧師をやめた」というものではなく、今までやっていた教会をたたんだ、と思ってもらえばいいと思う。)

教会をたたんだ父に対しては、特になんとも思わなかった。今までおつかれさまとは思ったが、きっと神様が導く道があるのだろうとも思った。しかし、ツアーで全国を回った時に、他県の教会で歌わせて頂く機会もあり、「父を知っている人たち」に出会う事もあった。

私は一瞬恥ずかしくなった

ツアー中、「○○先生はお元気?」と聞かれ、私は「教会はもうやってないんです」というのが少し恥ずかしかった。何となく、道を逸れたとか挫折したようなイメージで伝わってしまうのでは?と、「きっと父は今までいろんな人に迷惑をかけたのだろう」なんて思っていたのだ。しかし、私は知らない父の姿をそこで初めて知る事となった。

父を知っている人たちは、「○○の震災の時にはね、(風花父)先生が真っ先にとんできてくれて、助けてくれたんだよね。」「(風花父)先生には昔お世話になってね・・・」なんて話を聞く事ができたのだ。

父は、私の知らないところで。私が知っている教会の中だけでなく外でも、「牧師」をやっていたのだと、初めて知った。なんか、これは私にとっての神様からのサプライズだった。今まで自分が見て来た父という存在が、全てではなかった私の知らないところで、父は誰かの役に立つような素敵な働きをして来たのだ。

家族というもの

牧会に幕を閉じてから父は、家族というものに一番に目を向けてくれるようになった。昔から、「ごめんね」を良く言ってくれる父。もう、まわりの人やいろんな目を気にせずに、自分らしく生き生きしている父の姿がなんだか良いなぁと思った。

父は教会を閉める前から、起業をしていて、ハンディを持っている方の支援施設や海外の方のための支援などもしていた。そして、牧師であったときよりももっと「キリストとともに生きる人生」というのを背中で見せてくれている。「信じたら、何でもできる」を我で行く精神。笑。たぶん、私はこれの血を引いているのだなと思う。

子どもの私たちが大人になってから、家族旅行へ良く行くようになった。一緒にご飯に行ったり、住んでいる場所は違うけれど同じ教会に通っていたり、前よりもいろいろな話をするようになった。

全ての中で、一番大切な事

「牧師の子どもって大変そう…」と思う方もクリスチャンの中にはいるかもしれない。実際、それによって、傷つく子どもや、教会からはなれる子どももいるとは思うが、私は”本当に良かった”と思っている。

それは、牧師、牧師じゃないに関わらず「イエスキリスト」という、一番大切なものを父と母は教えてくれたから。

私はこの聖書という本や、イエスキリストに出会えた事が人生で最も価値のあるものであると思っている。なぜなら、自分の生きる指針や、人生の目標・意味、生きる希望や信仰という強さ、そして救いをまるっと手にする事ができたからだ。

イエスキリストはマジでヤバい。これは、キリストに出会って人生を変えられたたくさんの人たちがそれぞれ証ししていると思うが、私はこの一番大切なものを教えてくれた両親には感謝しか無い。きっとこれを知らずに生きていたら、人生がもっとどん底だっただろうし、希望も、喜びも見つけられない一生を過ごしていたと思う。

牧師だって、自分と同じ人間

「牧師家庭」という、珍しい環境に育って、時には偏見の目で見られたり「宗教の人」という色眼鏡で見られたりとイヤな事もあったけれど、私は父を全ての人の中で一番に尊敬している

ぶっちゃけ「牧師は絶対に一番やりたくない職業」だと私は思っている。人間的な目で見たら、何が嬉しくて、他人の面倒を見て大変な人間関係をまとめる働きなんてしなきゃいけないんだ…って思うからだ。でも、それにもかかわらず、神様に人生を捧げ、犠牲を払ってその働きに携わる人たちに、私は尊敬の気持ちを表さずにはいられない。

きっと、中には「牧師なのに」「牧師のくせに」「私は教会員なのに」「もっとこうしてほしいのに」いろいろな不満や言葉を浴びせられながら、自分の足りなさも浮き彫りにさせられながら、それでもがんばって牧師をしている人もいるかもしれない。

でも、私は「牧師だって、ただの人間」。そう思う。私の父がそうだったように、完璧な牧師なんて居やしない。そして、自分だっていつ神様に「牧師になれ」と言われるかわからない。(言われる事は無いと思うが笑)

だから、まずその神様の声に「応えて従った」牧師に対しては、みんな”自分だったらその声に応えられるだろうか?”と考えてみてほしい。

父の背中を見て

そんな「常に神様の声に従って生きてきた」父の背中を見て、きっとわたしも「このように生きたい」と思ったのだと思う。

神が人間側に来る事はできない。あなたが”何でもできる”という神側に来るしかない。

私はこの信仰を受け継いで、神様とともに生きていく人生を送りたい。私には限界がある。しかし、神には何でもできる。その神様が私の味方であり、どんな時にも私の力となってくださる。そんな聖書の約束を握って素晴らしい期待ある未来を見つめていきたいのである。

最後に

これを書いていて思い出した事がある。

父が牧師として、あまりうまくいってない時(?)、子どもながらに決めた事があった。それは「私はどんな父でも、父の味方でいよう」ということだった。

父は、子どもから見てもだめなところがあるし、まわりの人に迷惑をかける事もある。周りが正しい事もあるし、間違いや失敗もたくさんある。だから「もうこんな親はイヤだ」と、諦めて離れる事もできた。一緒になって、父の悪口を言う事もできた。でも私は、「まず、愛するのは自分から」という聖書の教えに立ちたいと思ったのだ。

もちろん、親なので愛していてくれているし、”自分から”なんて言い方はちょっと高慢かもしれないが…。でも私は、ある時この決断をした。「周りが父をだめだと言っても、私は味方でいよう。」「もし父が、たとえば犯罪を犯すような事があったとしても、私は見捨てずにいよう。」そんなふうに思った。きっとそれは、「愛は感情ではなく、決断である」と私が思っているからだと思う。

気持ちというのは揺れ動く。しかし、決断というのは一度決めたら、状況に左右されずに「決めた事に従う」というものだからだ。これを決めたら、あとはやるだけ。そんな決断ができて、とても楽になった事を覚えている。

誰しも、自分の親に少なからず愚痴をこぼしたくなったり、不満が出る事も人生のどこかではあると思う。私もそんな時期もあったけれど、聖書の言葉を選び取る事。これが、今の私を幸せに導いてくれたと信じている。

そんなこんなで

今日は、牧師家庭に育った中で感じた事、思った事をふと書き出してみた。

あ、ちなみに、父は現在神様と共に歩む中で「自分はプリンスだ!」と言わんばかりに神の子どもとして経済的にも祝福されて生きている。なんとなく”お金を求める事は罪だ”というようなイメージもあるが、「神の子どもらしく生きる」のであれば、経済的にも大いに祝福されてしかるべきだと思う。

天の父(神)が、全てのものを持っている。その祝福は、今は私たちに注がれている。そんな喜ばしい福音を信じて、これからも前進して行きたいと願う。

お父さん。そろそろいい年だけど、今のうちに天国にもっと宝を積んでおきなさいよ?と思う今日この頃。お父さんの子どもに産まれて本当に良かった。これからも、神様と永遠に一緒に。神様を一番にして生きてください。

いつか天国であった時に、お父さんの家よりも大きな家が建てられるくらい、私も神様と共に、負けずに生きて行きたい。

んっちゃ!