どうも。
グンマーに住む、メンヘラクリスチャンシンガーの矢嵜風花(やざきふうか)です。子どもの頃から、”クリスチャン”家庭で生きてきました。神様信じて数十年たちました。
そして思う、「そろそろ結婚したい」。だがしかし、現在の日本でのクリスチャン女性にはとても厳しい現実が課せられている!!!
もくじ
*周りの人に言われること
「○○ちゃんなら、大丈夫だよ~」
「その気になれば、いけるでしょ!」
「本気で作ろうとしてないだけでしょ?」
いやいやいやいや、君たち、そんな簡単な事じゃないのよ!
きっと、みなさまクリスチャンてなんなん?どんな恋愛してるん??て、たぶん知らないからそう言ってくれるのだと思います。しかし、ぜひとも「恋愛困難なクリスチャンの嘆き」を聞いて下さい。w
そして、こんな恋愛に悩むクリスチャン女性を救ってくれる紳士!!現れてくれ!
*クリスチャンの恋愛価値観って?
まず、「なぜクリスチャンの恋愛は難しいのか」。その大きな要因を占めているのが、「性」について!今回はここにスポットを当てていこうと思う。
現代の若者の「付き合う」とは、どういう意味を持っているのでしょう?
・将来のパートナーを見極める期間
・自分の成長のための人付き合い
・好きだから、独占したい(?)
そして、
・SEXの対象者!!!
↑これが大きな割合を占めている!
きっと、好き→付き合う→SEXできる→ほかの人とSEXしたら浮気!というのが一般的な考えであると思われる。
がしかし!!「聖書」を信じているクリスチャンの恋愛は、ここに大きなずれがあります。それは、「婚前交渉は罪である」という意識があること。
そう、聖書にはこんな箇所がある▽
「不品行を避けなさい。人の犯す全ての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。」(1コリント6:18)
まじめなクリスチャンほど、「結婚するまではSEXしません」を大事に守っているのだ。となると、何パ―セントの男性くんたちが「それでもいい」と浮気をせずに貞操を守ってくれるのだろうか…。
性にゆるい現代では、なかなかプラトニックな恋愛をしてくれる人も少ないように見受けられる。
*そもそも罪って何なのか
「これこれは罪だからしていけません。」
聖書はそんなことを言いたいのではありません。聖書で教えている神様の教えは「罪はあなたを不幸にするものだから、離れなさい。」ということなのだ。
「罪」に対して、罪と人をセットに考えがちだが、本当は全くの別物。神様は「人を愛し、罪を憎まれる」。それは、”罪はあなたを不幸にする”からだ。
そう、罪というのは、あなたを誘惑してあなたを陥れるのだ。そして、「罪を選び取る」という選択をさせ、あなたを「罪人」とし、その刈り取りを与え、結果的に不幸にする。あなたが、幸せの”的を外した人生”を送らせるために、罪はやってくる。
「この世は、罪の誘惑があるからわざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかしそれをきたらせる人は、わざわいである。」(マタイ18:7)
罪の中に生きる人は、知らずのうちにまわりの人も罪に陥れているのかもしれない。
では、本題に戻り、なぜ”婚前交渉は罪”なのか。というところを見てみよう。
*神様が用意した幸せ
”好きな人と心も体もつながる事”こんなにステキなことはない。
そう、神様は人に対して大きな「幸せ」を用意してくれた。SEXというのは、本来結ばれた二人に対して神様がくれた幸せなのだ。その結果が”子供”という最高のプレゼント。
聖書はSEXをダメといっているのではない。「結婚する前にSEXをすることは的外れだぞ」ということをいっているのだ。神様は、人が人生の的を外すことを喜ばない。なぜなら、神様はそのひとの人生に、祝福と素晴らしい未来を用意しているからだ。
今でこそ”避妊具”というものが開発され、”子供を作らない”という選択が出来るようになった。”結婚”という”制度”があり、「紙きれを出す」ことで正式に夫婦と認められた。では、付き合うと結婚の差は何か?といえば、とくに差はないように感じてしまう。
しかし大昔、「紙切れを出す」制度がなかった時代には、何をもって「結婚」といっていたのだろう?
それは私は、「二人が結ばれること」を「結婚」と呼んでいたのだろうと思う。だから、結婚式のあの赤いカーペットは「バージンロード」と呼ぶんではないんだろうか。「誰彼かまわず子どもを作る」そんな動物とは違って、神様は人に”理性”というものを与えたのだ。
*婚前交渉のリスク
では、罪の刈り取りとはいったい何があるのだろうか。「あなたが傷つかないために」と教えてくれた意味はどこにあるのか。
思いつくところを上げてみる。
・病気の可能性…エイズや性病など。今後の人生を大きく変えてしまう可能性のあるものまで。
・望まないこども…二人が「欲しい」と思っていない場合に、信頼関係に亀裂を生む。
・中絶…子どもの命を奪うこと。これは心と身体に大きな傷を与える。
・別れた後のこころの痛み…「結ばれた」二人が別れるというのは、その後の恋愛や自己肯定感などにも深く影響を与える。
・性の相性という考え…様々な人と関係を持つことで、結婚対象者がどんなにいい人でも性の基準でマイナスに見えてしまう。
・体目当ての異性によって傷つく…SEX出来なければ自分には価値がないのか?と、自分の本当の価値が分からなくなる。
・SEX依存症…身体的、精神的にも人生に大きな影響が出てしまう。
そして、聖書が教える中には「霊的な問題」があげられる。これは今は置いておく。
(なので、浮気とか心配な方にはクリスチャンとの恋愛はおすすめな気がします!)
*日本のクリスチャン人口
じゃあ、同じ価値観の人と付き合えばいいんじゃないの?
と言うかもしれないが、日本に住むクリスチャンはめっちゃ少ない。
ネットで調べた限りでは、
191万4196人(1.1%)
『宗教年鑑』平成29年版による。
日本人口のたった、1パーセント!!
学校でいうと1学年が500人だとしたら、学年にたった5人といった数だ。
しかも、男女比率は、、、
女7:3男
※大体そんな感じです。
と、みんなが結婚適齢期だとして、4人の女性ははじき出される。まさに、倍率の高い戦場なのだ。笑
世界的にはクリスチャンは多いのかもしれないが、言葉が違う人と一緒に暮らすにはハードルが高すぎる…。
だからクリスチャン同士の恋愛も、とっても難しい!
*結婚相手は神様が用意してる?
クリスチャンの方が「神様が必ず用意してくれるから大丈夫」「クリスチャンに”恋愛”は必要ない」といっているのを聞いたことがある。
”じゃあ何もしなくても、いい人がふっと現れて、白馬のおうじさまになってくれるのか?”といえばそんな保証はどこにもない。
「付き合う」という過程で、自分が人間的にも成長することが出来るメリットだってたくさんある。
きっと、私たちクリスチャンに必要なのは「あなたの大切なものを、私も大切にするよ」といってくれる、大きな愛を持った存在なのだ。
それ以外には、自分の信念や価値観、ライフスタイルにある程度の折り合いをつけて、この世の流れに身を任せる他ないのかもしれない…。(私はこの世と調子を合わせたいとは思ってないが…)
しかし、ここで忘れてはならないことは、「祈り求める」ということ!
聖書には、”神は一人子さえも惜しまずに与えたのだから、他の物を与えないことがあるだろうか”という希望の箇所もある。自分が「生涯のパートナーが欲しい!」と思い、求めるならば、信じた通りになる。と、信じたい。←
*求む!理性と誠実さを兼ね備えた男たちよ!
さて、これはもうクリスチャン、ノンクリスチャンに関係なく、ひとりひとりの「人間性」なのだと思う。
きっと、聖書を知らずとも、性に対して聖書的な考えを持っている人もあれば、クリスチャンでも浮気をする人もいる。
結局のところ、誰でも「自分で選ぶ」ことができるのだ。誰が正しい、誰が間違っている、ではない。その人その人の選択なのだ。
今の時代「経験が多い人がいい」とか、「SEXがうまい人がいい」とか言われているが、わたしは全然そんなふうには思わない。(若干の理想はあるかも?だけどw)
むしろ、将来のパートナーの為に今の自分の欲を制御できる男性の方が、結婚にも向いているし信頼もできる。と思う。
あぁいつか結婚したいなぁー
とか思いつつ、8割がた神様に委ねてのほほんとしておこう…。
*まとめ
おわかり頂けましたでしょうか。クリスチャン女性の恋愛事情…。笑
- クリスチャンは「婚前交渉は罪」という意識がある
- ゆえに、今の時代と価値観が合わず対象者が少ない!
- 同じクリスチャン自体がまた少ない
- あとは神のみぞ知る
- そしてとりあえず祈ろう
です。
以上、「その気があればできるでしょ」じゃないんだよっていう、クリスチャン恋愛事情でした。 この苦しみ…わかってくれ。笑
あわせて読みたい>>クリスチャンを好きになったとき考えたい5つのこと
*おまけ
最後に一つ言っておきたいのが「罪を選んだ人は、どうなのか」ということ。
ここで言いたいのは、「罪を犯す人は、だめよ。」「犯さない人は正しいわよ。」ということではない。こんな誘惑だらけの世界で、聖書の教えをすべて守れる人なんて誰一人としていない。「義人はいない、一人もいない。」と聖書自身が言っているのだ。
今は「罪によって」人が裁かれることは無い。聖書によれば、今は「信仰によって」裁かれる時代だ。
どんなに罪を犯そうと、どんなに誘惑に弱かろうと、神様は既にキリストによってあなたの罪を全て赦しているのだ。だからそのことを信じること。これが一番大切なこと。キリストが、代わりに罰を受けたから、それによってもうあなたは罪に汚れてはいないのだ。
そしてクリスチャンで罪を犯したからといって、神様からはなれてはいけない。むしろ「この弱いわたしといつも共にいて助けてください。」としがみついていよう。
神様は、あなたを愛しているし、あなたを守り、いつも味方でいてくれる。
私も罪人のかしらだが、神様にしがみついて日々清くしてもらいたい。
んちゃ!