メンタル

人を信じるのが怖い。でも本当は愛せる人になりたい。

昔、大好きだった親友に仲間はずれにされ、人間不信になった。そこから「どんなに仲の良かった人でも、人間は簡単に裏切る」ということを学んだ。

小学生の頃、宝物だった母からもらった色鉛筆が、朝学校に行った時に壊されていた。大事に思ってるものがあればあるほど、「失った時の悲しみは大きいこと」を知った。

「一生愛していこう」と思った大好きな人。別れるときには、自分は利用されていただけだとわかった。自分が思っていたよりも、「人間は恐く闇が深い生き物」だと知った。

*愛をくれるのも、傷つけるのも。

人は時として、「人を愛し」「人に愛される」。しかし、人は「人によって傷つく」ことも多いのだ。

幼いころの私は、きっと環境が優しかったんだろう。この世界は優しくて、人というのは愛があって、人と人とは支えあって生きていくものなのだと思っていた。

人間の「汚い」部分。それもあるのが当然なのに、私の脳内は実にハッピーに出来ていて希望なんてものが白く埋め尽くしていた

年を重ねるごとに、実にこの世界が嫌いになっていった。「この世界は、闇に満ちていて、汚い。」そんな世界で生きていることさえ、とても喜びとは思えなかった

自分の心を出さなければ傷つくことも減る。

本当の自分というものが、自分でもわからなくなるくらい、思っていることは口に出さない生活。そして、偽りの自分が外の世界で生きているため、内面の自分を「誰にも分ってもらえない」という孤独感だけが増していく。

そんな私が、手にしたすべは「初めから何も持たない」という生き方だった。

 

*何も持たない生き方。

「期待」を持たない。

きっとこの人もいつかは私のもとから去っていくだろう。そう初めから期待をしない事で、自分が傷つかないように心を守ろうとした。

「干渉」をしない。

人と深くかかわればかかわるほど、情もうつるし、私はその人が大好きになる。だから、友達でも、そこまで深くかかわらない事で、離れた時に食らうダメージを軽減しようとした。

友達」も、「家族」も、「信じる人」も、「大切と思うもの」も、初めから何も持たなければ、失うこともない

だったら、何も持たないようにしよう。そんな考えが、私を支配していた。

音楽活動を始める4年前、私はを経験した。

その時はすでに「すべてを持たないように」諦めた生き方をしていた。何にも期待は出来ない希望もない。そんな状態の日々を送っていた。

しかし、そこから立ち直って、音楽活動をはじめ5年が経った。

 

*ふと、「今」に気付く朝。

2018年秋。今朝、とても暖かい日差しの中、車を走らせていた。

心は時々寂しいと思うこともあるが、そんな時は「神様…」と祈るようにしている。最近の自分の中の課題は、「周りの人のためにもっと祈ろう」ということだった。

音楽活動を通して出会ってくれた人の中には、昔の私のように悩みの中に生きている人や、時々相談をしてくれる人もいる。

ブログや歌を通して、「私もです」と共感してくれ、心の内を明かしてくれる人もいる。そんな人達の為に「もっと祈らなきゃ」と思っていた。

そして、今朝、その祈りの中で「気づいた」事があったのだ。

それは「私いま、心から”幸せになってほしい”と思える、大切な人が沢山いる。」ってこと。いつの間にか、幸せを願える大切な人たちが周りにはたくさんできていた。

その時にふと、思い出したことがあった。

 

*忘れていた過去。

中学生のころ、私は学校の周りを散歩しながら、週に2回お祈りをしに行っていた。「大好きな友達が天国に行けますように」と純粋に毎回毎回祈っていた

しかし、いつの間にか少しずつ「愛する」事が怖くなっていた。愛すれば愛するほど、失った時が悲しいからだ。「もう少し無関心になれば、もう少し自分が人から距離を取ればこの恐怖から逃れられる」。

気付かないうちに「誰かの為に」「みんなの為に」真剣に祈ることを忘れていたのだ。

でも、今朝の私はちがった。「自分の周りにいる人たちだけでも、心から幸せにしたい」ってそう思っていた。たとえ、自分が幸せに出来なくても、神様にお祈りして、”幸せにしてください”って心から願いたい。そんな気持ちになっている自分に気が付いて、朝から涙が出た。

あぁ、また、失う怖さよりも大切なものを選べるようになったんだな。」って、うれしかった。

 

*今でもまだ。

今でも、私は傷つくのが怖い。特に恋愛になると、やはり「いつか終わりが来るのでは」と思ってしまう。

でも、今はそんなことはどうでもいいと思えるくらい、「たとえ、この人が私から離れようと」私は大切にしたいと思う人を、ちゃんと大切にしたい。そう思った。

それは、私の中ではとても大きな変化だった。なぜそう思えるようになったんだろう?と、心を巡らせてみると、私は「お返ししなきゃいけないくらいたくさんの愛をもらった」ことに「気づく」事が出来たのだと思う。

音楽活動を始めて、私はもう一度「あぁ、世の中腐ってるばかりじゃないんだな」ということを知った。

地元で歌をうたい、ライブをさせてもらうと、必ずと言っていいほど声をかけてくれる人たちがいる。「良かったよ」「頑張ってね」「応援してる」。そんな言葉のシャワーをたくさん浴びた。笑顔で聞いてくれる人、拍手をくれる人、支えてくれる人、「あぁ、人ってあったかいな」って、また人の優しさを知ることが出来た

音楽仲間もそうだ。特に地元群馬だからだと思うが、音楽仲間のコミュニティがとても仲がいい。誰かが誰かを誘ってイベントをしたり、CDを作るときにもお世話をしてくれる人もいる。皆がみんなを支えあって、「一緒に頑張っていこう」という優しさが感じられる。

こんなにいい人たちっているんだ」と思えるくらい、大好きな仲間がたくさんできた

未だに仲良くしてくれる、前職場の友達も、学校時代の友達もいる。大事にしてくれる家族がいる。そして、そう思えるようになったのも、きっと私が私を愛する事」を学んだからだ。そう思う。

 

*自分を愛するということ。

聖書にこんな言葉がある。

「自分を愛するように、あなたのとなりびとを愛しなさい。」という言葉だ。私はこの言葉を聞くたびに「人を愛することはできても自分は愛せない」と思っていた。自分のダメなところが嫌いだったからだ。

でも、今の私は人生で何があっても、私は私を守ってあげようと思える。

私は私を愛するし、裏切らない。そんな最強の味方が出来たから「周りによって傷ついても大丈夫。」そう思えるようになったのかもしれない。

こんな私の事を心配してくれる友達、頼ってくれる人、遊びに誘ってくれる人、一緒にいてくれる人。今まで離れていってしまった人たちもいたけど、私は「私と一緒にいてくれる」そんな貴重な存在を、自分が出来る最善をもって大切にしていきたい。

私の持っている小さな愛で、少しでも恩返しができるようになりたい。

 

*小さなスタート。

きっと「愛する」スタートは「感謝」することなのだと思う。

自分を卑下する必要はないが、自分の隣にいてくれる人を「当たり前と思わない」こと
。そして、「こんな私で申し訳ない」ではなく「ありがとう」と思うこと。それだけでいい。

感謝する心」があるだけで、きっとその気持ちはまわりの人に伝わるのだ。そして感謝の気持ちを受け取った人も、あなたから喜びをもらい、その喜びを返してくれる。

「愛する」なんて大きなことは、はじめからできないかもしれないが、「ありがとう」から始めよう。

まだまだ、人を愛する力も、信じる力もあんまり持ってなくて、まわりの人に迷惑かけっぱなしの私だが、そんな私をいつも支えてくれるみんなに心から「ありがとう」と言いたい。

そして、神様が教えてくれたこと。それは、「私はきっとまた人を愛することが出来る」ということ。

きっと、あなたにもそんな未来は待っている。時間はかかるかもしれないけど、周りにはまだ暖かい人たちがいる。あなたが沢山の愛に出会えるように、あなたが自分を愛していけるように、こんなブログに言葉を載せて祈ろうと思う。