2018年、12月。お風呂上がりにふと思い出したことがあった。
そういえば、あの時、お姉ちゃんが「あなたは私の命よりも大切だから」といって泣きながらハグしてくれた。
その時の私はうんともすんとも思わなかったけど、今思えば最高の家族だな。って
*過去。
私は社会人2年目の時、鬱になった。
毎日死にたいという願いを抱きながら、どうやったら誰にも迷惑をかけずに死ねるかということを考えていた。
そして今、鬱から完全に立ち直って、今は「自殺したい」と思ってる人に希望があることを伝えたくて音楽活動をしている。
*鬱になった要因とおもうところ
鬱から抜け出して気づいたこと。それはたくさんあった。
そして、私にとって要因でもあり、克服するきっかけでもあった「家族」について今回は書きたいと思う。
私の家族
私は次女として生まれ、家族の中では常に一番幼い立場にいた。父、母、姉、祖父の5人家族で、何かあるとおじいちゃんの部屋に行くおじいちゃん子だった。
姉は頭がキレるタイプで、論理的に話をするのが得意だ。感情論で物事を進めるような性格でもない。
私はというと、100パーセント感受性豊かなタイプで、完全にアーティストタイプの繊細かつ不安定な精神の持ち主だった。
幼いが故に
そんな私は家族の中で一番知恵もなく、何をいっても「それは違う」とか「それは正しい」とかまず”考えの評価”をされることが多かった。
「そう感じたんだね」とか「そう思ったんだ」なんて共感されるというよりも「なんでそう考えるの?こっちが正解なんだからこう考えればいいじゃん」のように、発言するたびに何かを「教えられる」そんなところがあった。
“何をいっても勝てない”そんなコミュニケーションを感じていた。
負のサイクル
幼い頃、両親の一番嫌なところは「私が何か発言すると必ずパパとママが喧嘩する」というサイクルだった。
何か心のうちを明かしたり、真剣な話を私がすると、必ずといっていいほど両親の喧嘩になる。それが心底嫌だった。
そして、そのサイクルが何度も繰り返されるうちに、私は幼いながらに、「自分が思ったことを言わなければ喧嘩にならない。ならばもう何も言わない。」そう決めた。それは、鬱を克服した後に思い出した決心だった。
「気付かない」と「忙しい」
「何も言わなくなった」私はきっと親にとっても「何考えてるかわからない」関わり方が解らない存在になったのかもしれない。親とのコミュニケーションは思春期頃には余計に難しくなった。
両親は自営業のようなもので、他人様に気を配らなければいけない仕事だった。そのため子どもにまで目が回らないのか、忙しいのか、私の気持ちにはなかなか気づくことがなかった。
隣で泣いていても気づかない、自殺しようと家出をしても気づかない、毎日苦しくて変な行動を取っても話を聞いてこない…(聞かれても答えないからだが。)そんな負の関係が続いていた。
「気づいて欲しい」と思っても「何馬鹿なことしてんの!」と怒られるだけだった。
*鬱になったのは家族のせいだ
私の家族は最高の家族だ。なのに、当時の私は家族を恨んでいた。
思っていることを言えなくなった私は、鬱になった。鬱になった要因は他にもたくさんあるのだが、元を辿ればこんな環境で育ってこんな性格になってしまったからだ。そう思った。
「死にたい」と思ったところで誰も声をかけてはこない。自分の存在なんて本当に意味がないと思った。
そんな時、家族に何を言われても、耳になんて入ってこないし心になんて届かないのだ。
私が鬱になってから、家族は多分たくさんいい言葉をかけてくれたと思う。「あなたは私の命よりも大事だから」という姉の言葉はこの時貰った言葉だった。
しかし、鬱状態の私は「もう遅い。」「あんた達のせいだ」「何を今更」と、家族に対して遅い反抗期のようにすべて仇で返していた。
そんな自分のことも嫌いだった。
*鬱から克服したのは
しかし、家族とのコミュニケーションが取れたことは、回復へ向かうきっかけとなった。
何度も、何度も、思っていることを家族に言おう…とチャレンジしたことはあった。でもその度に、”受け止めてもらえなかった”という経験をして、言わなくなった。だから、家族と面と向かって話をするのは、すごく勇気がいることで怖かった。
でも、鬱になってから、間に入ってくれる人がいて今まで溜まっていたものを家族に向けて吐き出す事ができた。それが鬱から回復するために必要な1歩だったと思っている。
私が暴言を吐くので「あなたは変わってしまった」と母に言われた。でも本当は違う。ずっと言いたかったことを心の中で溜め込んでいただけなのだ。
「何も言わなくていい子」そんな人ほど、もしかしたら心の中で何度も自分を殺している。私はそうだった。
*そして今
私が思ったことを言う事で、きっとたくさん家族を傷つけたと思う。でも、それを初めて「受け止めてくれた」そう思えた事が、すごく私を救ってくれた。
今はこの家族こそ、本当に最後まで私を見捨てない大切な存在だと思っている。
完全に家族が回復するまでには、時間がかかった。そんな私に、忍耐を持って愛をくれた両親と姉には感謝しかない。
自分が歳を重ねたことも大きな変化かもしれない。「親も完璧ではない」と、親になる年齢になってやっと気づく。自分の幼さがとても恥ずかしいくらいだ。
鬱の頃の私はきっと「甘え」もあったのだとおもう。当時は全く自分のことで精一杯で、その時その時を生きることしかできなかったため周りが見えていなかったが。
*家族の回復
家族というのは、一度関係が壊れると本当に立て直すのが大変だ。もう諦めてしまう。そんなこともある。奇跡が起こらない限り、希望のない家族もある。
でも、私は奇跡を知っている。「人にはできないことも、神にはどんなことでもできるのです。」と聖書に書いてある。
鬱を克服することも、家族が回復することも、自分や人間の力だけではきっと全く無理だった。
でも、「神がいるなら助けてみろ!」と叫んだ私に、神様は答えてくれた。
人には希望が見えなくても、神様は全てを変える力があり、生きる力と希望も持っている。そんな神様に救われる人がたくさんいたらいいなと思う。
*おまけ
鬱から回復したのちに、講演会の講師としてお話をさせていただいたことがあった。その時あるご婦人にこんな言葉をもらった。
「あなたが何か言うとご両親が喧嘩したのね。それは辛かったかもしれないけれど、あなたのことを愛しているから、真剣に考えるが故に喧嘩になるのよ。」私はそれを聞いた時に涙を止める事ができなかった。
当時苦しんでいた私の痛みの正体は、本当は愛だったのかもしれない。
自分のことばかり見ていると気づけない。でも、一歩外から見たら、あなたの家族もきっとたくさん良いところがある。
あなたにも良いところがあり、あなたの家族にも愛すべきところがある。
あなたが抱えている痛みや傷も、私より大きなものがたくさんあるのだろう。でも、その傷が少しでも癒され、周りの愛にたくさん気づく事ができるようにと祈っている。
んちゃ。