くりすちゃん

「キリスト教の伝道」ノンクリ彼氏から学んだ5つのこと。

どうも、クリスチャンXX年生の矢嵜風花(やざきふうか)です。

今回は、クリスチャンホームでぬくぬく育った私が、昔「ノンクリスチャン」の元彼と6年付き合う中で学んだ、伝道においてとても大切だと思う心構えをご紹介します。

皆に神様信じてほしいですよね。わかります。今回はそんなクリスチャン向けの記事です。

*「クリスチャン」は正しくない。

なんでクリスチャンて、自分の価値観が正しいと思ってんの?」「なんでそんなに上から目線なの?」この言葉は、”なるほど。クリスチャンてそう見えるのか”と思った大きな言葉だった。

クリスチャンにとって、「聖書」というものが「正しい」という基準で、神様という絶対的存在がいる。「聖書」が正しいと思っているからこそ、その「価値観」も正しいと思っているのだ。

もちろん私たちクリスチャンが信じている、聖書、神、キリストは絶対であって、変わることもない。聖書的にそれが正しい。でも、それが正しいのは「信じる私たちの間だけ」なのだ。(厳密には違っても)

「聖霊によってでなければ、主を理解できない」とあるように、それは信じる私たちにとってはまぎれのない事実ですが、信じない人にとっては「正しくない事」だという事。これは、ノンクリスチャンを理解するには大切なポイントだと感じる。

正しさの押し売り」程、自己中で嫌悪感のあるものはないのではないかとも思う。

そして、クリスチャンの中には、”ただ先に救われただけ”なのに、「救われた側の自分たちが正しい、あなたたちは罪にも気づいていない。悔い改めた方が良い。」なんて上から目線で言ってくる人もいるのかもしれない。

そんな雰囲気を感じ取ったのか、「クリスチャンて偉そう」「見下されてる」と感じる人もいるのかもしれない。

 

*「救われたい」なんて思ってない。

みんなに天国に行ってほしい」「地獄に行ってほしくない」と願い、一生懸命に伝道をする人もいる。私もそう願っているし、そのために動いてもいる。

しかし元カレくんは言った。「信じてない人を可哀想と思うのは間違っている。

クリスチャンというのは、天国が保証されている。という安心感がある。神に許され、愛されている喜びもある。しかし、「その愛を知らずに生きている人たちは可哀想」と思うのは確かに上から目線だ。別に誰も哀れみがほしい訳ではない。見下されたいわけでもない。

「この喜びを知らないなんて…」と心の中で思うことはいいのかもしれない。また、プラスな感情で「ほんとに最高なんだよ!」と紹介するのももちろんいいと思う。でもそれが「憐れむ」目線で人に伝わてしまうのは、やっぱりいい印象は与えないだろう。

それに、聖書にあるように、「弱いからこそ先に救われた」のだ。

私は、本当にノンクリスチャンの方々を尊敬するし、自分の弱さも理解している。だから、「神様がいなくても生きている」そんな力を持った人たちは本当にすごいと思う。

 

*「信じてほしい」はこちらの我。

これはきっとクリスチャンの方々も意識はあると思うが、今一度。
「信じてほしい」と願うのは、我々のいわば自己中心からの気持ちだ。という事を忘れてはいけない。

本当のところを言えば、「相手のことを思うが故、愛するがゆえに信じてほしい」というのが願いだろう。そう、でも、願っているのはあくまでも「こちら側だという事。

私は、甘いものがあまり好きではない。

しかし、甘いもの好きな人が「さいっこうに美味しいソフトクリーム」を見つけたならば「このおいしさをぜひ味わってほしい!」と、幸せを分けるつもりで「一口食べて」と言ってくるのだ。「本当においしいから!」「本当に最高だから!」といっても、甘いものが好きでない私からしたら、一口たべて「あげる」としか思えない。どう頑張っても「食べたい」とは思えないのだ。

たとえとしては適切ではないかもしれないが、いくら「相手のためだから」と思っても本人が「ほしくない」と思うものを無理強いしては意味がない

伝道で大切なのは、「相手に必要な物」を提供する事。ビジネスでも同じだが、神様はすべての物を持っているのだから”一人一人に合ったもの”を伝えていくことが、その人の為にも役に立つのではなかろうか。

が必要な人には愛を。癒しが必要な人には癒しを。赦しが必要な人には赦しを。支えが必要な人には支えを。希望が必要な人には希望を。ただ「キリストの救いと天国」を伝えることだけが伝道ではない。

 

*キラキラしている事、生きていることが一番。

そんな6年つきあった彼だが、はじめはだいぶクリスチャンに対してもキリスト教に対しても「嫌悪感」や「無関心」が続いたが、あるとき一度だけ「神様を信じる」お祈りをした。

それは、私が一番生き生きと喜んで生きている時だった。

今のクリスチャンの中には”草食系伝道”をする人が多いが、自分の「生き方」を通してキリストの香りを放つというものだ。自分から「クリスチャンなんです!」と大きな声で伝えずとも、「あの人は何か違うね。」「あの人はすごく愛がある人だよね」など、行動で示すタイプだ。これはほんとうに素晴らしいと思うし、私がなかなか実践できないところでもある。

私が、キリストの愛に満たされて喜んで日々を過ごしていく中で、自然と神様と生きることの喜びを伝えていた時期があった。そんな時にきっと「こんなに幸せそうなら自分も信じるか」そう思ったのかもしれない。

聖書にこんな箇所がある。

私はぶどうの木であなたがたはその枝です。私に繋がる者は豊かな実を結びます。

きっと、何か大きなことが出来るとか、模範的に生きるとか、そういうことではなく単純に「キリストと繋がることを求める。」究極これができれば、自然に愛や喜びに満たされるのかもしれない。

そんな姿が、キリストの光を放っている状態なのかもしれない。

 

*まとめ。

簡単にですが、ノンクリスチャンの心のうちと伝道の心構えをお伝えしました。

  1. クリスチャンが絶対的に正しい。と押し売りするべからず。
  2. 救われたい。と思っていない人のこともお忘れなく。
  3. 「信じて欲しい」はこちらサイドの勝手な願い。
  4. キリストに繋がることを一番に求めよう。

神様を知らない人の中には、もちろん救いを必要としている人もいます。けれど、特に宗教に対していいイメージを持っていない人もいます。いろんな人がいますが、あなたの内にある「神様の愛」が、まわりの人たちを暖かくしていってくれることを願っています。

BLESS YOU!

んちゃ